発達障害について(その4)自閉スペクトラム症

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自閉症というと「自分の殻に閉じこもって誰とも関わらなくなる病気?」「引きこもりのこと?」と思われるかもしれません。字面からすると、たしかにそんな気がしますよね。自閉症の子どもが人と関わるのが苦手なのはそのとおりなのですが、自分の殻に閉じこもるのが自閉症か?といえば、決してそうではありません。もちろん、引きこもりとはまったくの別物です。それでは、自閉症とはどのような疾患なのでしょうか。

自閉症という疾患が初めて知られたのは1943年のことです。重度の知的障害があり、ほとんど言葉が出ず、視線も合わない。些細なことでパニックを起こし、火が付いたように泣きわめく。同じような奇妙な動作を繰り返す。そのような状態を示す子どもたちで、発表した先生の名前から「カナータイプ自閉症」といわれます。

ところで、自閉症には「アスペルガータイプ」といわれるもうひとつの系統があります。こちらは、知的には決して低くなく、特別な能力をもつこともある子どもたちで、特定の興味に没頭し、会話も一方的で周囲との関係がうまくいきません。

この2系統はまったく別々に発表され、異なる疾患のように見えるのですが、1.周囲とのコミュニケーションに障害がある、2.こだわりが強い(同じような動作を繰り返す、特定の興味に没頭する)という点では共通しており、現在では同じ括りの「自閉スペクトラム症」として扱われています。

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この「スペクトラム」というのは最近流行りの概念で、症状は誰にでもあり、それが「あるかないか(黒か白か)」ではなく「グラデーションのように濃淡がある(強かったり弱かったりする)」というものです。コミュニケーションの障害についていえば、カナータイプのようにほとんど言葉が出ず、視線も合わないのは「強」、会話はできるけど、一方的でかみ合わないというのであれば「中」であり、誰もが感じるような人づきあいの苦手さであれば「弱」だと考えられます。自閉スペクトラムというのは、カナータイプの自閉症を中核として、その周辺にアスペルガータイプの自閉症があり、もっと離れて「人づきあいが苦手で、性格的に固いタイプの人」がいるという概念で、それが社会適応上の障壁になっている場合は自閉スペクトラム「症」(という疾患)とされ、社会的に適応できているのなら、自閉スペクトラム(の傾向がある人)といわれるわけです。

なお、カナータイプ、アスペルガータイプの自閉症が発表された当時は「早期に発症する統合失調症ではないか」とか「母親の育て方が悪いのではないか」とかいわれましたが、現在では、生まれつきの脳の機能異常であると位置づけられています。

自閉スペクトラム症は、重度(カナータイプ)のものであれば、1歳過ぎから明らかになります。抱かれるのをひどく嫌がって泣きわめく、離乳食が進まない、生活リズムが定まらないなど、育てにくさが強い子どもとして認識されることが多いようです。ただし、大人しく1人で過ごし、黙々と同じ遊びを繰り返すタイプの子どももいて、むしろ「手がかからない子ども」として見過ごされてしまうこともあります。とはいえ、さすがに23歳になって言葉の遅れが目立つようになると「何かおかしい」と気づかれます。典型的なケースでは「単語が少し出始めたけど、いつの間にか喋らなくなった」という経過をとり、言葉は出ても会話にならず、オウム返し(聞いた言葉をそのまま繰り返す)をするのがほとんどです。言葉以前に、目を見て訴える、表情で伝える、指さしをするという非言語のコミュニケーションもあまりみられません。指さしが成立するためには、指をさした先にある物を一緒に見る(共同注視)という暗黙の了解が必要なのですが、そのようなコミュニケーションの基礎がうまく成立していないのです。

軽度で知的障害を伴わない場合(アスペルガータイプ)は、学校に行ってなかなか友だちができない、興味の対象が周囲の子どもと大きく異なる、頑固で融通がきかない、学校に行きたがらないなどで相談した結果、自閉スペクトラム症が基礎にあると診断されるパターンが多いようです。学校ではそれなりに適応していたけれど「自分は何か周囲と違う、何となくコミュニケーションがしっくりいかない」とずっと感じていて、青年期になって自分で相談に行き、診断されるケースもあります。

この、診断がついたりつかなかったりというのが「スペクトラム」の特徴です。グラデーションの濃い方に位置する重度の子どもであれば、診断は容易で、早めに診断し治療(療育)に乗せることが大切なのですが、淡い方に位置する軽度の子どもだと、診断自体が難しく、かつ診断・告知するのがよいのか悪いのか悩むケースにしばしば出会います。「早期に診断をつけて告知し、自己理解を進めるのがよい」という意見もあり、それは正論ではありますが、スペクトラムを濃淡に関わらず一律に診断・告知するというのは、やはりちょっとやりすぎだと思います。周囲の大人に子どもの特性を理解してもらうために、家族や学校には積極的に診断を伝えますが、子ども自身に伝えるかどうかには熟慮が必要です。自閉スペクトラム症は、年齢が上がると成長とともに診断域でなくなる(特性が薄まって適応がよくなるので診断が必要でなくなる)ことも多いのに、診断の告知が逆に悩みを深め、子どもの人生に悪影響を及ぼすことがあるからです。

「大人になるまでずっと悩んできたけれど、診断を受けて、理由がわかりスッキリした」という患者さんの告白を聞くと「悩む前に診断した方がいい」と思われるかもしれませんが、これは、ずっと悩んできたからこそ腑に落ちるわけで、全然悩んでいない子どもに伝えても「なんで?意味わからん!」ということにしかならないのです。結局は、子どもと家族を長期にわたって見守りながら、家族には早めに伝えて対応を学んでもらい、子どもには大きく傷つく前に、ある程度悩んだタイミングで伝える、というのが適切な対応になるのだと思います。

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前述したように、自閉スペクトラム症の中核症状は、コミュニケーションの障害とこだわりです。コミュニケーションの障害としてよくいわれるのは「共感性の欠如」で「自閉症の子は人の気持ちがわからない」「空気が読めない」と考えられています。しかし、共感性の欠如というのは決して「人の気持ちがわからない冷たい人間」というような、文学的な問題ではありません。人(に限らず集団生活を営む動物)は、相手の状況を、相手のしぐさや表情、声のトーンなどから瞬時に感知する能力を持ち合わせています。それが「非言語のコミュニケーション」です。ただし、そこで感知できるのは、相手の気持ちとか考えていることではなく「いま、相手を刺激していいのか、まずいのか」ということです。そして、自閉スペクトラム症の子どもは、それを感知できないために対人関係で地雷を踏んでしまうのです。

周囲の人は何となくうまくやっているのに、自分には全然わからない。そんな状況に置かれたとき、人はとても大きな不安を覚えます。自分がよかれと思って発言すると、えっ?という感じの白い目で見られる。そんなことが小さい頃から続くと、だんだんと人と関わるのが怖くなり、人との関わり自体を避けるようになってしまうのです。

こだわりの強さは、もともと一定のパターンや物事の一部分に執着しやすいという性質によるのですが、自分の周りの様子がわからないからこそ変化を嫌がり、同じことの繰り返しに安心するという面もあります。また、自閉スペクトラム症には感覚調整障害(感覚の過敏さ)を伴うことが多く、いろんな感覚刺激(音、匂い、味、明るさ、触られることなど)を通常より強く受け取ってしまうという問題もあります。そのため、よく知らない場面で新たな刺激を受けることを嫌がって、新たな場面になかなか踏み込もうとしないのです。

自閉スペクトラム症の子どもが人との関わりを好まないように見えるのは、周囲の状況が読み取れず、失敗体験を重ねたことによって、関わる自信を失ってしまったためです。なので、決してもともと人が嫌いなわけではなく、友だちがほしくないわけでもありません。そのことを理解し、適切な関わりかたや距離感を根気強く教えていく必要があります。脳機能の問題があり、自閉スペクトラム以外の人のように相手の状況が瞬時に読み取れるようにはなりませんが、多くの体験を積み重ねることによって、適切な対応を多くの体験の中から選択できるようになるのです。ただし、そうなるには、ある程度の知的能力と、受け入れてもらえる環境、および周囲の理解が欠かせません。「どうしてわからないの?」ではなく「わからないなりにうまくやっていく方法を考えよう」と、あきらめずに関わり続ける周囲の姿勢が大切です。

著者

長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長 小柳憲司
著者 小柳憲司(コヤナギ ケンシ)
所属・役職 長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長
長崎大学医学部、長崎大学教育学部、佐賀大学医学部、長崎医療技術専門学校非常勤講師
専門領域 小児科学、心身医学
主な著書 身体・行動・こころから考える 子どもの診かた・関わりかた(新興医学出版社)
学校に行けない子どもたちのための対応ハンドブック(新興医学出版社)
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