子どものこころの発達(その4:思春期について)

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児童期に比較的安定していた子どもたちも、10歳を過ぎる頃から少しずつ不安定さを見せ始めます。思春期の到来です。この時期を表す言葉には「思春期」と「青年期」の2つがありますが、二次性徴が始まり、男性や女性として成長していく身体的変化の時期を表す言葉としては「思春期」、身体的変化に伴うこころの揺らぎが強く現れる発達段階を示す言葉としては「青年期」が用いられることが多いようです。ただし、ここでは「思春期」で統一します。

思春期の難しいところは、二次性徴に伴ってホルモンバランスが崩れ、自分の意思とは関わりなく情緒不安定になることです。わけもなくイライラしたり、悲しくなったりする、これは「更年期」と同じようなものですね。親は更年期、子どもは思春期でどちらも不安定だとどうしようもなくなりますが、そういうご家庭も多いのではないでしょうか。

加えて、この時期は人生におけるさまざまな選択を迫られます。進学をどうするのか、将来をどうするのか、学校の先生も親も、子どもをどんどん追い詰めます。でも、そんなに将来の目標を明確に持って生きていくことなんて、できるわけがありません。何となくは思っていても、よくわからないのが現実のはずです。それを「早く決めろ」と迫られると「そんなことわかるわけない!」と叫びたくなるのが正直な気持ちなのだろうと思います。

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思春期の年齢になると認知機能も発達し、抽象的かつ客観的思考が可能となります。自分自身を他者視線から見て内省できるようになることから、自分の行動がすごく恥ずかしくなったり、周囲と比べて劣っているように感じられたりします。小さい頃には感じたことのなかったさまざまな感情に気づき苦しむ、それが思春期をもって「疾風怒濤の時代」と言い表される所以です。そのような揺らぎはきっと誰もが感じるのですが、どのように表面化するかは個人差が大きく、一律ではありません。

多くの子どもでは、何となくイライラしたり、親や先生に反抗したり、プチ家出したりくらいなのですが、揺らぎが大きいと、本格的な非行に走ったり、暴力事件を起こしたり、自傷行為をしたりすることになります。このように揺らぎが極端に大きい状態を「思春期危機」と言います。自分の状況に耐えられず、不登校や引きこもりになる場合もあります。

思春期を考えるうえでお勧めなのが、竹内常一先生の「子どもの自分くずしと自分つくり」という本です(東京大学出版会,1987)。この「自分くずしと自分づくり」という言葉が思春期の本質を非常によく言い当てています。子どもは、これまで親や学校の先生から作ってもらった自分をいったん壊し(否定して)、自分自身で新たに組み立てる(自分自身で納得して受け入れる)作業を経ないと大人になれません。言われたとおりにやるだけではダメで、これまで「正しい」と言われてきたことをいったん疑って拒否したうえで、自分で考えて自分のありようを決めないといけないのです。

その結果、新たに組み立てたものは、結局、以前と同じものかもしれません。でも、それでもよいのです。自分で決めたことには自己の責任が発生します。自分で決めたことだからこそ、うまくいかなくても受け入れざるを得ませんし、妥協もしていかなければならない。うまくいかなくても腐らず付き合っていく、人生とはそのようなものですし、他人のせいにせず自分の責任で動くことができてこそ、大人になったということなのだと思います。

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親や先生の言葉に反発する、社会のありように憤りを感じる、反社会的な行動をする、学校に行かずに引きこもる、これらの行動は、自分壊しそのものです。そうやって自分を壊し、本当に自分がしたいことは何なのか、自分はどうあるべきかを考えながら、自分作りに取り組んでいきます。

その作業はつらいものです。だからこそ、そのつらさを打ち明け、共有できる相手として、思春期の時期には「友だち」が必要なのです。ここで言う「友だち」は、遊び仲間やクラスメイト、知り合いという意味ではなく、信頼して悩みを打ち明けられる「親友」です。本当の意味での親友は、一生のうちにできても1人か2人、そして、それが本当に必要なのは思春期だけかもしれません。だからこそ思春期の子どもたちはみな友だちを渇望するし、友だちがいないことを「恥ずかしい」と感じるのです。

思春期を乗り越えるためには、友だち以外にも、自分を組み立てるモデルとなったり、自分の作ったものに承認を与えてくれたりする大人、とくに親や学校の先生のように自分を直接評価する立場にはない第三者の大人の存在も重要です。さまざまな人と出会い、世界を広げていくことで、子どもはどうにか思春期を乗り越えて(やり過ごして?)いくのです。そして、うまくいかなくても「それが自分だから」と受け入れられるようになってこそ、やっと思春期は終わるのだといえます。

そのような思春期は、最近、期間が延びてきているといわれます。社会が多様になり不確実性が高まるにしたがって、無条件に信じられるものが少なくなり、見通しも立ちづらくなっているのでしょう。いつの世も、生きるのは骨の折れる作業だということです。

さて、次回は子どものこころの発達の最後として、人間が生きていくために必要な、基本的な安心感、自己肯定感についてお話をします。

著者

長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長 小柳憲司
著者 小柳憲司(コヤナギ ケンシ)
所属・役職 長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長
長崎大学医学部、長崎大学教育学部、佐賀大学医学部、長崎医療技術専門学校非常勤講師
専門領域 小児科学、心身医学
主な著書 身体・行動・こころから考える 子どもの診かた・関わりかた(新興医学出版社)
学校に行けない子どもたちのための対応ハンドブック(新興医学出版社)
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