子どものこころの発達(その1:もののみかた、とらえかたの発達)

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「子どもは小さな大人ではない」とよくいわれます。それは、子どもがただの大人のミニチュアではなく、大人に向かって発達している存在だからです。大人になると、誰でも自分の子どもの頃に感じていたこと、考えていたことを忘れてしまいます。といいますか、どうしても「今の自分」を基準に周囲を見、考えてしまうので、子どものときの自分に戻って考えることが難しいのです。

子どもと大人は、まず目線の高さが違います。それだけでも見え方は違うのですが、実はそれだけではなく、感じ方がまるっきり違うのです。今回は、そのような子どもの感じ方についてお話ししましょう。

赤ちゃんは、自分のことが「人間だ」とわかって生まれてくるわけではありません。新生児の頃、赤ちゃんは「何となく不快」な感覚になったら泣き、おっぱいをもらったりオムツを替えてもらったりして気持ちよくなったら泣きやむ、ということを繰り返しますが、実はそのとき「誰かがお世話をしてくれている」ということはわかっていません。「どうしてかわからないが何となく気持ちよくなる」としか感じていないのです。それが、少しずつ「誰かがお世話してくれるから気持ちよくなる」ということを理解し、その次の段階として、おもにお世話をしてくれる「お母さん」という存在がいることを理解します。

そのように、赤ちゃんは少しずつ自分の周囲の世界を把握していくのです。生後6ヵ月を過ぎるとお座りができるようになりますが、そうなると、これまでだいたいは天井を見るだけだった視界が大きく開けます。はいはいで移動できるようになると、世界はどんどん広がっていきます。赤ちゃんはよく自分の周囲にあるものをつかみ、何でもかまわず口に入れたり、投げてしまったりしますが、そうやって動き、自分の感覚を刺激しながら周囲の世界を確認していくのです。

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1歳を過ぎると子どもは少しずつ言葉をしゃべり始めます。そして、2歳になる頃には「ママ、イッタ」のような二語文が使えるようになり、3歳になる頃にはけっこう一人前に話せるようになります。ただし、子どもが話す言葉は、大人が理解している言葉とは少し違っています。

たとえば「イヌ」。大人にとって「イヌ」という言葉は犬という動物全般をさしますが、3歳くらいの子どもにとって「イヌ」は「今そこにいる犬」だけをさします。つまり、モノに名前があることはわかっていても、モノを表す言葉が、そこにあるモノ自体だけではなく、モノの概念(どういう種類のモノにその名前がついているか)につながっていることまでは理解していないのです。

この年齢の子どもは、比較の概念も成立していません。なので「おじいちゃんとおばあちゃんのどっちが好き?」などと訊いて、どちらかを答えたとしても、子ども自身その意味はわかっていないのですね(まあ、周囲の大人も本気では訊いてないでしょうが)。また「コップに入れた水をそのまま鍋に移しても量は変わらない」などということもよくわかりません。これを保存の概念といいますが、コップの水が広がることで、量が増えたように感じてしまいます。

視点を切り替えるというのも、まだまだ難しい作業です。そのため、相手の視点から状況を見て判断することもできません。「自分の目から見える景色や自分が考えることと、相手から見える景色や相手が考えることは違う」というのは、普通に生きていればごくあたりまえのことで、これを「こころの理論」といいますが、こころの理論を理解するためには、視点の切り替えや重層的な考え方など高度な作業が必要なのです。

現実と空想の区別がついていないのも、この年齢の子どもの特徴です。小さい子どもの証言がなかなか証拠として採用されないのは、このような性質によります。

子どもは、小学校に入学する頃までに、言葉が概念を示すこと、保存や比較の概念、こころの理論などを理解していきます。そして、多くの子どもがこのような概念を理解する7歳になる年から学校が始まります。小学生になる頃には、子どもは大人と比較的近い感覚で物事を考えられるようになっていますが、それでも、複雑なこと、抽象的なことはよくわかりません。抽象化が理解できるようになるには10歳を超えてくることが必要です。「xやyを使った方程式を習うのは中学生になってから」というのも、そのためです。

さまざまな概念の理解が進む年齢は子どもによって異なるため、早くから理解が進む子どもは賢い子どもだと思われてしまいます。また、早い年齢から英才教育のような幼児教育を進める親御さんもいます。しかし、あくまで「子どもたちは発達の過程なのだ」ということを忘れてはなりません。

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概念の発達のスタートが遅い子どもでも、時期が来ればちゃんと理解できるようになります。他の子どもより少し早く発達が始まったとしても、それは早めにスタートを切った(フライングした)というだけで、どこかでは他の子どもに追いつかれてしまいます。「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」というのは、子どもの発達過程からしてもそのとおりなのです。そのため、年齢不相応な教育をしたり、期待をかけたりするのは、あまり意味のあることではありません。

一方、年齢よりも発達が明らかに遅れているときには、神経発達症(発達障害)と診断される場合があります。とくに、年齢が経過しても他者の視点に立てない、重層的な考え方ができない子どもは「自閉スペクトラム症」といわれます。ただし、このような診断は「発達の一時期にそうだった」ということであって、改善する場合もあるのです(もちろん、一定以上には改善しない場合もあります)。つまり、子どもの神経発達症は、発達「障害」といわれるような、固定的なものではないということです。

次回は、子どものこころの発達(その2)として、対人関係の発達についてお話ししたいと思います。

著者

長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長 小柳憲司
著者 小柳憲司(コヤナギ ケンシ)
所属・役職 長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長
長崎大学医学部、長崎大学教育学部、佐賀大学医学部、長崎医療技術専門学校非常勤講師
専門領域 小児科学、心身医学
主な著書 身体・行動・こころから考える 子どもの診かた・関わりかた(新興医学出版社)
学校に行けない子どもたちのための対応ハンドブック(新興医学出版社)
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