【特集企画】コロナ禍における子どものこころ

コロナ禍における子どものこころ

新型コロナウイルス感染症に翻弄される毎日が始まり、すでに2年近くが経過しようとしています。みなさん、いろんな面で行動の制約を受け、なんとなく元気が出ない日々を送られていることと思います。コロナ対策に従事されている医療関係者の方、厳しい局面に立たされている飲食関係、観光業関係の方もたくさんおられます。一日も早く感染状況が落ち着き、日常生活が取り戻せることを願っています。

さて、今日はそのようなコロナ禍が、子どもたちのこころに与える影響について考えていきたいと思います。テレビやネットのニュースでもたびたび取り上げられている話題ですので、一度は聞いたことのある話が多いはずです。その「まとめ」と思って読まれてください。

一口に子どもといっても乳幼児から思春期まで幅が広く、抱える問題も異なります。今回はいくつかのテーマに基づいて、乳幼児期から、児童期、思春期と、少しずつ年齢を上げてみていくことにしましょう。

マスク着用の弊害

 乳幼児は呼吸困難に陥ったり熱中症になったりする危険があるのでマスク着用はしないで、といわれます。子どもたちはそうだとしても、子どもに関わる周囲の大人はみんなマスクをしています。

マスクは飛沫感染の防御には役立ちますが、その反面、表情を見えにくくするという問題点があるのです。対人緊張の強い人のなかには、コロナ禍に限らずマスクが手放せない人がいますね。日本人にもともとマスクの人が多いのは、そういう理由もあるのかもしれません。

さて、子どもたちは成長の過程で、相手の表情を見て、その変化で相手の意図や感情の動きを読み取ることを学んでいきます。「目は口ほどにものを言う」ということわざがあるように、表情には目が大きな役割を果たしていますので、「マスクをしていても目は見えるからいいじゃないか」と言われるかもしれません。しかし、表情の要素としては、目だけではなく鼻や口の動き、口角の向きなども重要です。そして、マスクはそこをすっぽり隠してしまうのです。

周囲の大人がみんなマスクを着け、表情を隠していると、子どもはその表情を読み取る練習ができません。相手の表情が読み取れないと、相手の気持ちがわからないから対応するのが不安になり、将来にわたって安定した対人関係の形成が難しくなってしまうのです。とくに神経発達症(発達障害)の子どもたちは、もともと相手の表情の読み取りの難しさを持っていますから、影響が大きいといえます。

大人でも、相手がマスクをしていると誰だかわからないことが多いですが、もしかしたら小さな子どもたちにとって、周囲の大人がみんなマスクしている姿は、みんなが能面のようなお面を着けて同じ顔で自分に迫ってくるように見えているかもしれません。そう考えると怖いですね。

子ども虐待の増加

 児童相談所における子ども虐待通告は、年々増加傾向にあります。これは、虐待事例が実際に増えているということもあるのでしょうが、虐待への意識が高まり、昭和の頃であれば虐待とは考えられなかった行為が虐待ととらえられるようになり、通報されやすくなったということでもあります。

マスコミでセンセーショナルに報道されるような死亡事例もありますが、死ななかったからよいというものではなく、虐待は子どものこころに大きな傷を負わせます。人を信じられなくなる、適度な距離感がつかめなくなるなど、円滑な人間関係の形成に関わるデメリットは計り知れません。

 さて、コロナ禍で親子とも家にいることが増えました。もともと家族全体がインドア派で穏やかに過ごせている家庭では大きな問題は起きないのかもしれませんが、外に出るのが好きな親子だと、ストレスが溜まってケンカのもとになります。加えて、お父さんやお母さんが仕事に行けず、経済的な不安が募ると余計にイライラして子どもにあたってしまうことがあるかもしれません。

コロナ前からDVなどがあった家庭では、家族が一緒にいる時間が増えたことで暴力を振るわれる機会が増えてしまったという話もあります。暴力を振るわれるのは身体的虐待、暴言など言葉で傷つけられるのは心理的虐待といいます。なかなか表面には現れてきませんが、性的な虐待を受けている子どももいます。

これだけでなく、食事や衛生面の世話をしてもらえないのをネグレクトといいますが、親の育児放棄や貧困のために十分な食事が摂れていない子どもが、学校給食でなんとか食いつないでいたのに、一斉休校になったためにご飯が食べられなくなってしまい、より苦しい状態に置かれてしまった、ということもありました。

挿絵

コロナ休校の功罪

 2020年3月から5月にかけて、全国で一斉休校の措置がとられました。それによって、卒業式も入学式も迎えることができなかったという、悲しい思いをした方が多かったのではないでしょうか。

人間の成長の過程には、さまざまな節目があります。そして、その節目を越えていった証として、それぞれの儀式があるのです。成長を祝い、次のステップに送り出す儀式をきちんと執り行うことが、子どもの意欲を高め、次に訪れる困難を乗り越える力をつけるのですが、その機会が奪われたことは、次のステップで立ち止まってしまう子どもを増やす結果につながった可能性があります。

実際、新しい生活が始まる時期に一斉休校になり、コロナ休校明けから不登校になってしまったという患者さんは少なくありません。もちろん、不登校の原因はひとつではなく、その子自身の性質や、家庭の状況、学校の状況など、さまざまな因子が関わっていますが、登校継続が危うい状態になっていた子どもが本格的に登校できなくなる、その最後のボタンをコロナ休校が押してしまったと考えることができるでしょう。
 
一方、もともと「学校に行きたくないな...」と感じていた子どもたちにとっては、コロナ休校は救いの神だったかもしれません。不登校の子どもたちは、長期休暇には気持ちがずいぶん楽になります。みんなが休んでいるときは「本当は行かなければならない学校を休んでいるダメな自分」という思いから、一時的にでも解放されるからです。学校を平然と休んでいる子どもなんていないのです。コロナ休校の時期に受診した不登校の子どもたちは、みんないい顔をしていました。

コロナ休校と摂食障害

 コロナ休校との関連がどれくらいあるのかは不明ですが、最近になって摂食障害の患者さんの受診が急激に増えました。摂食障害とは簡単にいうと「普通に食事が摂れない状態」です。

典型的なのは「やせたい、太りたくない」という気持ちが非常に強くなり、食事が摂れなくなる神経性やせ症ですが、子どもでは、やせたいわけではないけれど何となく食欲が落ちたり、決まったものしか食べられなくなったりするようなパターンもあります。

「コロナ禍の在宅勤務で運動量が落ちて体重が増えた」という大人の方は多いようですが、子どもでも、休校や部活停止に伴う運動不足から実際に体重が増えたり、他の子が太ったという話を耳にしたりしたことから、気にしてダイエットを始めたケースが相当数あるのでしょう。ダイエットがすべて摂食障害につながるわけではありませんが、几帳面に取り組む子ほどダイエットに没頭しすぎて「とにかく1gたりとも太りたくない」というように、気持ちが異常な方向に変容してしまうのです。

摂食障害は病気としては厄介なもので、治療にも大変な手間と時間がかかります。子どもに対して、安易に「最近太ったね」というような声掛けをするのは断じて避けなければなりません。

行事の中止や延期

 新規感染者が増えるたびに、修学旅行や運動会、文化祭など多くの行事が中止に追い込まれました。運動部、文化部にかかわらず、さまざまな大会も中止になりました。せっかくこれまで一生懸命取り組んできたのに、その成果を見せる場を奪われてしまったのです。そんな子どもたちの落胆、やりきれない気持ちを理解できない人はいないでしょう。

がんばって何かを成し遂げたという成功体験は、子どもの「やればできる」という漠然とした自信、すなわち自己肯定感を高めます。自己肯定感は、子どもが将来にわたっていろんなことに取り組む意欲や、自信をもっていろんな人と関わる原動力となるのです。もちろん、大会に出られたとしても試合に敗れることはあるし、大会に出られなくても「がんばった」という事実は残ります。だから「大会に出られるかどうかには大きな意味はない」という人もいるでしょう。「社会の理不尽さを知ることも大切」「悔しさも大きな糧になる」のかもしれません。とはいえ、突然目標を奪い取られるような経験は、できればさせたくないものです。

 一方で、行事の中止で救われた子どもたちもいます。運動会が大嫌いな子、マラソン大会が苦痛でたまらない子たちにとって、それらの行事の中止は本当にうれしかったことでしょう。学校ではみんなが一律に、何にでもがんばって取り組むことが期待されます。でも、それができない子だっています。ある行事を、みんながみんな同じように楽しんでいるわけではないのです。学校も、もう少しそのような子どもたちの気持ちを理解し、多様性を受け入れる場になってほしいものです。

家族団らん

これからどうすればいいのか

 コロナ禍でさまざまな問題に直面しているとはいえ、子どものこころは常に発達を続けています。虐待やいじめに伴う深く大きな傷でなければ、これからの経験によって、これまでうまくいかなかったことでも十分に修復が可能なのです。

「今しかない」といえばそうですが、生きてさえいれば「来年も」「10年後も」あります。それこそ、青春が輝いていた人なんて、ほんの一握りではないでしょうか。この数年間でできなかったことを悔やみ続けるより、「大人になってから、もっといろんな経験ができるのだから、そんなに悔やまなくていい」と、周囲の大人が軽口ではなく、経験から滲み出る言葉として語ることが、子どもたちの成長をうながすことになるのではないかと考えています。

 感染の主体がデルタ株になり、子どもを介する流行拡大が懸念されています。それに伴い、さらに子どもたちの行動に制限がかけられようとしています。しかし、子どもたちはこれまで十分にがまんしてきました。これ以上の制限が、子どもたちのこころの発達に悪影響を及ぼさないわけがありません。

子どもたちは身近に触れ合い、語り合って成長していくものです。オンライン学習ができればよいというものではないのです。大人はそのことを十分に理解し、子どもにこれ以上過度な制限を課すのではなく、自分たち自身の態度を見直さなければならないのではないかと考えています。

以上、コロナ禍を切り口に、子どものこころの問題について幅広く述べてみました。この小論が、みなさんにとって「子どものこころ」を考えるきっかけになればと思っています。

著者

長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長 小柳憲司
著者 小柳憲司(コヤナギ ケンシ)
所属・役職 長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長
長崎大学医学部、長崎大学教育学部、佐賀大学医学部、長崎医療技術専門学校非常勤講師
専門領域 小児科学、心身医学
主な著書 身体・行動・こころから考える 子どもの診かた・関わりかた(新興医学出版社)
学校に行けない子どもたちのための対応ハンドブック(新興医学出版社)
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