不登校について(その1)

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不登校が増えています。令和2年度の文科省統計で196000人、令和3年度が245000人、令和4年度が299000人と、実は令和2年度から令和4年度で10万人も増えているんですね。学校に行かない子ども自体は昔からいて、昔々は経済的理由で学校に行かせてもらえない子どももいたでしょうし、昭和の頃は、非行などに伴い学校に行かず遊びまわる子どもももいました。学校に行くのは当たり前のことで、行かないのは単なるサボり、怠惰だと思われている時代が長く続きました。その認識が変わり始めたのが昭和から平成に移る頃でしょうか。「学校に行きたくても行けない」という子どもたちの存在が知られるようになりました。それは「学校恐怖症」や「登校拒否」という言葉で言い表されてきましたが「別に学校が怖いわけじゃない」「学校を拒否しているわけじゃない」でも「なんだかよくわからないけど行けない」という子どももいることがわかり、理由はどうあれ学校に行かないことを端的に示す「不登校」という呼称が使われるようになりました。

実際、不登校といっても子どもによってさまざまで、決して一律なものではありません。また、先ほど述べた20数万人という数字も「病気や経済的理由を除き30日以上欠席したもの」のみの集計であり、保健室・相談室登校をしている子ども、適応指導教室やフリースクールに行っている子どもなどは含まれておらず、学校に行くことに何らかの心理的負担を感じている子どもは、この数字の何倍も存在していると考えられます。

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そもそも「学校に行かないことの何が悪いのか?」という話になると、そこに明確な答えはありません。よく言われることですが「親には子どもに教育を受けさせる義務がある。しかし、子どもに学校に行かなければならない義務はない」のです。とはいえ、学校に行くのは日本社会で当たり前のことだと認識されていますから、学校に行けなくなった子どもの多くは「自分は普通のことができないダメな子」だと考え、どんどん気持ちが落ち込んでしまいます。それに輪をかけて親が「どうして学校に行かないの!」とプレッシャーかけると、子どもは「自分は社会の落伍者で、お先真っ暗。生きている価値がない」とまで思い詰めてしまうのです。そして、周囲の目を気にして外に出るのが怖くなり、もっと状態が悪くなると、部屋に引きこもって家族とも顔を合わせなくなってしまいます。朝起きたら嫌な現実が待っていると思うと、朝は目が覚めなくなり、家族が眠っている夜中が活動時間になります。こんな状態では、いろんなことに取り組む気力もなくなりますから、ずっとゲームにハマるか動画・SNSを見てばかり、ということになるでしょう。嫌なことを考えずにすごすためには、そうするしかないのです。別に依存症だというわけではありません。

このような状態の子どもに、親が「学校に行きなさい!」と叱責したり、学校の先生が部屋まで乗り込んで無理やり引っ張り出そうとしたりすると、子どもはどうしようもなくなってひどく暴れ「死んだほうがまし」と考えるようになります。「不登校の子どもに登校刺激をしてはいけない」といわれるのは、このような状態に置かれているときです。それが拡大解釈され、30年ほど前は「不登校に登校刺激は禁忌」とされていました。しかし、現実に登校刺激をするかどうかは子どもの状況や時期によります。子どものつらさを周囲の大人が理解し、無茶なプレッシャーをかけるのをやめると、子どもは少しずつ、自分が受け入れてもらえていると感じられるようになり、情緒が安定してきます。そして、自分の状況を冷静にとらえられるようになれば、登校の促しは、動き出すきっかけを待っている子どもの後押しとなり、むしろ効果的に作用するのです。

また、子どもによっては、能力的な問題や養育環境の問題を抱え「どうせ学校に行っても勉強もまったくわからない、家でちゃんと世話もしてもらえない、面倒くさい」という感じで登校しない場合もあります。そういうケースでは、学校での支援体制を整え、養育状況が改善できるよう家庭の支援をしたうえで、積極的な登校刺激が必要です。

このように、不登校の子どもへの支援は、子どもの状況に応じてオーダーメイドで行わなければならないのです。

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2020年からのコロナ禍によって、学校も長いこと休校になり、感染が怖い場合には登校しなくてもよいという選択肢が社会で認知されるようになりました。前に述べたように、子どもが「学校に行かなければならない」と考えるのは、それが日本の社会では当たり前のことだとされているからです。だから、「家で勉強するなら学校には行かなくていいんだよ」ということになれば、行かないという選択肢をとる子どもが増えるのは当然です。学校は、勉強やスポーツができ、友だち作りも上手で人気者の子どもにとっては楽しい場所でしょうが、それ以外の子どもにとって「積極的に行きたい場所か?」といわれれば、かならずしもそうとはいえないからです。

でも、だからといって「行かないでいい」という選択肢が子どもにとって本当によいのかどうかは考えなければなりません。勉強もスポーツも友だち作りも、生まれつきできる子はいません。やっぱり誰でも初めは勇気を出してトライアルし、その後も地道に努力していく必要があるからです。一律な「がんばらなくていい」というメッセージは、やればできる子どもたちの可能性を摘んでしまうことにつながります。

すべての子どもがみな同じようにできるわけではありませんし、学校という場がすべての子どもに適切な環境を与えてくれるとは限りません。学校適応が難しい子どもには、また別の環境を提供すればよいのです。ただし、その場所は単に勉強ができればよいわけでなく、多様な経験を通じて視野が広げられ、いろんな人との関わりによってコミュニケーション力が高められるところでなければなりません。実は、多くの子どもにとって「学校」こそ、そのような環境を提供してくれる場なのです。だから、できれば学校には行った方がいい。とはいえ、学校に行けないからといって将来が閉ざされるわけではない、という理解が大切です。

それでは、次回は不登校への対応の実際についてお話しします。

著者

長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長 小柳憲司
著者 小柳憲司(コヤナギ ケンシ)
所属・役職 長崎県立こども医療福祉センター副所長兼医療局長
長崎大学医学部、長崎大学教育学部、佐賀大学医学部、長崎医療技術専門学校非常勤講師
専門領域 小児科学、心身医学
主な著書 身体・行動・こころから考える 子どもの診かた・関わりかた(新興医学出版社)
学校に行けない子どもたちのための対応ハンドブック(新興医学出版社)
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